つくる側、つくられる側

こちらのブログは「考えるのは苦手だ」「議論するのはいやだ」という方には読むことをお勧めしません。積極的に読みたいという方だけ読んで頂きたいと思います。。。

タイトルの件はつまり生命の話です。

何かというと、生命をそんなに簡単に「つくる」ということが許されていいのか?ということです。人間の生命についてはよく「自分の遺伝子を残したい」とか「次の世界のため」とか「二人の愛の証」とか言ったりするわけなんですが…そもそもその生命は生まれたくて生まれるのか?ここがまず疑問です。

またよくある話で思春期青少年の「生んでくれなんて、頼んでない!」発言があるかと思うんですが、あれは何で言ったら必ずビンタされてしまうのでしょうか?

当の本人たちは生んでから数年は「できちゃった」とか「ハネムーンベイビー」とか言ってうかれている訳ですが、その数年後に一連の流れの中で「あんたなんか生むんじゃなかった」とか「ほんとは欲しくなかった」とか言われることになると、生まれる側としては前述の発言にもなるわけだと思うんですよ。自分たちの判断で産んでおいてそれはないだろう、と思います。

とにかく、つくる、つくらない、うむ、うまない、は選択できるんだから、なぜつくるか?なぜうむか?について、きちんと考えてからそうしたい。

「成人したら結婚して、子供をつくる」ってのが全肯定されすぎていて、様々な人のプレッシャーになる部分もあると思いますね。そこが一番の問題なんじゃないかなー。

いまの仕事で高校生と関わって「こどもがいかに親の道具になっているか」ということに直面して改めてそういうことを考えざるを得ない状況になったかと思います。

経済的に不可能な場合もあるし、現実的に自分が今後20年ほどの大仕事に関われる自信も、あまりない。しかも自分自身の人生が最優先でなくなりそうなのもちょっとこわくもある。「もうっ!そんなネガティブなことばっか言ってたら子供なんて産めないよーッ☆孫の顔も見せてくれないのー><」と親に何度肩を叩かれても、さらに納得できない自分がいるんです。今日はそんなところ。このページはまた随時更新します。

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