性、のこと

さいきん知り合った生徒さんの中で、すごく気になるこがいる。あのこは戸籍上の性別は女性なんだけど、とってもスタイリッシュですてきな雰囲気の子だ。前からお話したいなーと思っていたら、今日たまたま、部屋にふらりと、来てくれた。先生の話をしたり、バイクの話で盛り上がったりした。あのこ、と呼ぶことにするけれど、あのこは学校内で「性同一性障害の…」と噂されているよう。(先生たちも、はれものにさわるように、こっそりそんな話を、している。)あのこが部屋から出て行った後、一人の男子生徒が私に「あのこ、女なんやで!知ってた?なんか、病気らしい」と言って、最後に「かわいそうやなぁ。」といった。わたしは「病気かどうかはしらんけど、性別に違和感があるってかんじなんちゃうかな?…かわいそう、ではないけど、しんどいやろうなぁ。」と返した。

わたしには、身に覚えがあった。

わたしは小学校、中学校、高校とずっと違和感を覚えていた。空手を続けて習っていて、そこでリーダーをしていた。本当に強くなりたかった。体が丸くなっていくのがいやだった。初潮ってやつを迎えるのも。スカートを履かなくちゃいけないのも、いやだった。女の子と遊ぶのが苦手だった。男の子と殴り合いのケンカをしたりして、精神病院にも連れて行かれた。高校はズボンを履いて通った。先生に反抗して停学になったりもした。あのころは、とても、きゅうくつだった。

どうにかさまざまな考え方を咀嚼して、通過して、悩んでいる人に出会えて、今、なのだけど、今も戸籍上の性別に違和感を覚えることはよくある。それに、自分のこと、よくわからなくなることもある。考え続けていたらLGBT(レズ・ゲイ・バイセクシュアル・トランスセクシュアル)ということばにたどり着くことができた。性という言葉について理解しようと思うとき1.戸籍における性別2.性自認3.性対象にわけることができる、という風にし、「LGB」は3の話、1と2の間に違和感がある人のことを「T」とするよう。

トランスセクシュアルのひとのなかには「男に生まれたけど女になりたくて、でも性対象は女、だからわたしはレズビアンです。」という人もいる。かたや、対照的な性別になることを望むのではなく「男、女、そんなのどっちもいやだ!だからわたしはどっちでもないⅩだ!」という人もいる。もちろんそれは、人によってバラバラだから、グラデーションってことで。性に関する団体やイベントは、レインボー(虹)がシンボルになっていたりする。

わたしは現時点で、すべての人の「性」が「虹」だと、思っている。そしてそれは天気と一緒で、日によっても違うはず。自分の戸籍上の性別なんて、生まれた瞬間に性器を見ただけで医者に判断されているだけで、生まれたときから無意識に、自分が男だとか女だとかいうことに縛られていて、好きになるべき対象も、着たい服も「あらかじめ大幅に制限されてしまって」いる。

3.性対象は特にそうだといえる。昨日のゆでたまごの日記にも書いたけれど、人として好き、という部分がある限り、その人自身のよさに惹かれ、見た目に惹かれ、フィーリングに惹かれ、つまり、その人自身がどこからどう見ても、どう考えても素敵なんだってことだ。性別はあまり関係ない。同姓が好きな自分はおかしいんだって、思わなくていいと思う。誰を好きになるのも、いたって正常で、いつでも自由だ。

女の人に対して「カレシできた?」って聞くのが当たり前になっているかもしれないけど、それがプレッシャーになっている人が少なからずいる。たしかにそりゃそうだ。自分のパートナーはいわゆるカレシ(男)ではない。でも、嘘はつきたくない。でも、カミングアウトもしたくない。答えにくいだろうし、人間関係も立ち行かなくなる。

ところで私は「男の人が好きだ」と公言したことは一度もない。だからといって「女性が好きだ」と言いたいわけではない。「男女ともすきだ」と公言するつもりもない。性って、そういうものだ。性のことについて、いちいち、当事者がカミングアウトする必要はないと思う。

かえりに職員室で、あのこがさっき担任の先生とケンカして暴れていたって話を聞いた。ちょっぴり心配になった。あのこと、また、ゆっくり話したいなぁと思った。

性同一性障害っていうことばについても、今後深めていきたいと思う。